報道に対して感じる違和感
仕組み上、
動画の再生回数が増えれば、
収入も増える。
というのは、もはや周知の事実であって、
これ即ち、
『ほぼウソ』や「ウソは言っていない」
みたいなニュースでも、
「何でもいいからとにかく再生回数を稼ぎたい。」
という人が現れるのは必然かな、
と思うワケです。
日本語のニュースを発信しているのは、
なにも日本人ばかりではありません。
インターネットですから。
グローバル ですから。
また、
そういったニュースがテレビや新聞でも取り上げられたりするワケです。
インターネットしない人にも届いてしまう。
ちょっと前よりもずっと、
私たちの生活に溶け込んできています。
ウソまがいのニュースが混じっている以上、
もはやホントかウソか分からない以上、
『報道を見る意味』そのものが問われます。
言ってしまえば、
ニュースと都市伝説の境界線を、
誰も定義する事ができない状態にあるワケです。
あ、
ひとつだけ、報道の中でも、
ほぼほぼ確実に本当の事を伝えているコーナーがありました。
天気予報。
しかも どうやら年々精度が上がってます。
戦争そのものが悲しい事実である事に変わりはありませんが、
知る方法が無ければ、一生知らないまま過ごす事になる。
というのも また事実です。
遠い国の事ならば なおさら。
冷酷ではなく、冷静さを保つのも大切なのではないかと。
落ち着こうぜ。まずは。
それこそ、都市伝説との境界線が曖昧になってくるんですが、
私が とりわけ『戦争の報道』に対して感じる違和感は、
「2022年にもなって、まだ鉄砲やミサイルでドカドカやってるワケ?」
という部分です。
例えば、
ものすごく小さい、蚊やハエほどのドローンがあって、
刺さってもイマイチ体感できないほど小さな毒針みたいなモノを、
ものすごく正確に発射する。
シューティングゲームのように、
スマホの画面をズームしたりなんかして、
誰が操作しても、
画面の中央にある印に向かって、
その毒針は、ほぼ100%飛んで行く。
私だったら、そういう兵器とかをイメージします。
だって2022年だぜ?今。
半世紀にもわたって同じような武器、
使うぅ?何故?っつって。
『兵器』ですからね。
どの国だって、技術の粋のようなモノを作っているのではないか?
と思うワケです。
片手間や、余り物で作ったり しませんよね?
SDGs とか言って。
すると今度は、
防衛策として、文字通り「虫1匹通さない」施設のようなモノを作るヤツが現れますよね?
するってぇとアレよ、
今度は虫とかではなく、
もう『目にも見えないぐらい小さな何か』
とかになっていくのは、
これもまた必然かな〜、とか。
そもそも、直接殺し合う行為だけを戦争だと思い込む事自体が危うい気もしています。
とにかくですね、
YouTubeでもテレビでも、
偏向していたり、
過激な見出しでクリックを誘おうとしてるようなコンテンツは、
再生しない事ですよね。
みんなで『要らない』を突きつけない限りは、きっと無くなりません。
つまり、無くなりません(笑)
日本だってね、わかりませんよ。
実際は作ってるカモ知れませんよ。
あれを。
ガンダムを。(デカい!)
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